第1回、S・Sファイトクラブ「参加作品」
第一回FIGHT/テーマ「新」

「手首」

作者・のぼりん


「おい、どうしたんだ」
 はっと振り向くと、横溝が飄々として立っている。江戸川はその横溝の肩を抱えるえるようにして、建物の影へ押し込んだ。
「大きい声を出さないでくれ。気づかれてしまうじゃないか」
 江戸川の指差す方向にグレーのスーツを着た初老の紳士がいる。四つ角で立ち止まって、神経質そうにきょろきょろと周りを見回すと、すぐにその角を曲がって姿が見えなくなった。
「見失わないように後を付けるぞ。話は歩きながらだ」

 江戸川がアルバイトに向かう途中の地下鉄の改札口のことだった。
 ひとりの男が出口の手前で、体中のポケットに手を突っ込んでいる。どうやら切符を無くしたようで、そのうち、手にしたかばんを開けて覗き込んだ。
 その様子がとても不自然なのである。中身を人に見られたくないのか、ほんの少ししか開かないで、そのわずかな隙間の中に、指だけを突っ込んでまさぐっている。
 たまたま、コインを足元に落とした江戸川がそれを拾って覗き込むと、その隙間の物が目に入った。
 …透明のビニール袋に包まれた人間の手首である。

「手首だって!」
 思わず大声を上げた横溝の口を、江戸川が慌ててふさいだ。
「しっ、ひょっとしたら相手は大変な犯罪者かもしれないんだぞ」
 紳士は明らかに挙動不審だった。
 角張った黒いかばんを抱きかかえるように持って、常に人の視線を避けるように歩いていた。
「間違いない」
 江戸川はきっぱりといった。
「しばらくして切符が見つかったのか、男は改札口から一目散に駅前の喫茶店に入った。そこで、待ち合わせをしていたのが、今付けている男だ」
「おっと、じゃあ、最初にあのかばんを持っていた男とは違うというわけか」
「うん。僕は最初の男を追いかけて同じ喫茶店に入り、後ろの席でコーヒーを飲みながら、聞き耳を立てたんだ。断片的な話しか聞こえなかったのだが、どうやら駅の男は便利屋だということだった。その便利屋が、手に持ったかばんをあの男に渡して、『出棺まで絶対、後悔してはいけない』といった。それから、男が『衣装はどうしましょう』と尋ねると、便利屋は『検討しておきましょう』と答えた。僕が聞こえた言葉といえばそれぐらいだが、それだけで十分に奇怪な会話だと察しがつくだろう。しばらくして、二人は喫茶店を出て別の方向に歩き出したのだが、僕はためらわず、かばんを渡された男の方を付けたんだ」
「ふうん、便利屋…出棺、後悔…いったい何をいっているんだろう」
「わからないか、鈍い奴だな」
 江戸川は、説明ももどかしいというようにため息をついた。
「人体の切り売りさ。人の体の部分で医療業界の闇市場に売れないものはないというぞ。これほど需要の尽きないものもないし、儲かるものもない。外国では子供の臓器を密売したとかどうとか、そういう記事を読んだ事があるだろ」
「手首も売れるのか」
「他人の手首を縫いつけたという手術例はある。世の中には、不幸な事故で手首を失った人など、五万といるんだ」
「待てよ、出棺とか、衣装とか言うのは?」
「きっと、死体の証拠隠滅のことだ。部品を取り去った残りを衣装にくるんで隠し、とにかく棺桶に押し込んで、焼いてしまえという事だろう。便利屋は、それを一切引き受けているのだと思う。人の死体をどうやって手に入れたか、あるいは作り出したかはわからないが、それをバラバラにして売るなんて明らかに犯罪だし、人道上許せるものではない。後悔というのは、その行為についての人間的な感情をいっていたんだろうな」
「す、すごい話だな」
「便利屋は、『こいつは売れますよ』といって、笑っていたよ。僕は背筋がぞっとしたね」
 言いながら江戸川は身を震わせた。不審な男は人ごみの中に入ると、相変わらず両手でかばん抱きかかえるようにして、その目線は落ち着かない。

 かなり長い時間、二人はそうして尾行を続けた。
 人通りが増えてきた商店街の入り口まで来た時である。ふと、曲がり角に交通警官が立っているのが見えた。
「今がチャンスだ。尻尾を捕まえてやる」
 突然、江戸川が目的の男に向かって走った。横溝が声を掛ける暇もなかった。あきれるほどの行動力である。
「待て!そのかばんを見せろ」
 男はおびえたような顔で振り返った。
 次の瞬間、きびすを返し、飛び上がって逃げようとしたが、すでにえ江戸川の両手がかばんの取っ手を掴んでいる。逃げたい男と、かばんを奪いたい江戸川が揉みあった。
 取り残された横溝は、唖然と立ち尽くすばかりである。
「何だ、君は」
「この中には手首が入っているはずだ」
「ど、どうして、それを…」
 男の顔が見る見る青ざめた。
「おまわりさーん」
 さらに、江戸川が叫ぶと、異常に気づいた警官が二人に向かって駆けて来る。
 男は死に物狂いで、江戸川の手を振り解こうとしたが、勢いあまって、握り手が緩み、肝心のかばんが吹き飛んでしまった。
 弾みで江戸川も地面に転がっている。その江戸川の鼻先にかばんが落下し、留め金が外れた。
 二つに割れたかばんから、ころころと転がりだしたものがある。
 人間の手首だった。
 それが次の瞬間、地面にまっすぐ立ち上がった。そして、まるで意思でも持っているように、江戸川に向かってその指を上げたり下げたりしたのである。
 江戸川は悲鳴を上げ、そのまま意識を失った。


「大丈夫か」目の前一杯に広がっているのは、横溝のあばた顔である。
 江戸川が体を起こしたのは、バス停のベンチの上だった。遠くに交通警官が佇んでいるのが分かる。そこから心配そうにこちらを伺っていたが、横溝が手を振ると笑って頷いた。
 警官が見慣れた景色の点描に戻ると、何事もなかったように、周りの時間が動き出した。
「あの手首はどこへいったんだ」
 江戸川が狐につままれたような顔で尋ねた。
「ちゃんとかばんに入れて持って返ったよ」
「誰が?」
「誰がって、あのおっさんさ」
「人間の手首だぞ」
 江戸川はいきり立ったように言葉を返した。
「義手だよ」 横溝は笑っている。
「あのおっさんは、○○義肢工業会社の技術部長だ」
 江戸川は、目を丸くした。
「だって…」
「全部お前の誤解さ。そんなわけないと思っていたよ。あまりにも、すっぽりとはまりすぎていたからね」
「便利屋が、出棺まで後悔するなと…」
「弁理士だよ。特許出願の代理人だ。出願まで公開するなといっていたのさ」
「なんだって…!」
「日本の特許は、先願主義といって、書面を特許庁に出願するまでに発明を公にすると『新規性』がない、つまり、権利を放棄したものとみなされるんだ。あのおっさんは、技術が専門だけに法律に疎くて、弁理士に言われるまま、何がなんでも発明品を人に見せてはいけないと思い込んでいたようだ。発明の公開というのは、技術的内容を理解できるように公にした場合をいうので、素人に外観を見せるだけならどうって事はないのにね」
「新発明の義手だったのか…」
「そういうことだ。まあ、同業者が見たら、それなりの情報を得るかもしれないから、出願前の発明は慎重に扱ったほうがいいのは確かだけどね。ついでに言っとくけど、『衣装はどうするか』というのは、意匠出願もしておくか、という意味なんだろうと思うよ」
「では、『こいつは売れますよ』ってのも…」
「ははは。あのおっさん、かなり焦ってたぞ。人のいい親父をいじめるなよな」
 横溝はよほどおかしかったのか、いつまでも笑い声を止める事ができないようだった。

あとがき = きっと、途中でオチが分かった人も多いと思います。普通なら、すぐ分かるネタでも、それを気づかれないようにする工夫に結構苦労しました。


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