第1回、S・Sファイトクラブ「参加作品」
第一回FIGHT/テーマ「新」

「シンユウ」

作者・已岬佳泰


 その日もいつものように、駅が見通せるファストフードショップ
に僕はいた。ガラスの外を通り過ぎる人たちをぼんやりと眺めなが
ら、お替わり自由の薄いコーヒーを飲む。
 3、4人で群れて跳ねるように歩いて行く学生たちや、鼻を尖ら
せ取り澄ました顔で急ぎ足の若い女、それから肩を落とした背広姿
の中年男。昼下がりの駅前通りの変わり映えのしない通行人たちは、
むろん僕に微笑みなどしない。
 というよりも。

 ありきたりな味気ない毎日の繰り返し。そんな僕専用の舞台設定
に彼らはなくてはならない存在なのだ。とうに行き詰まっている僕
の人生芝居の中にあっても、彼らは「アカの他人」という与えられ
た役柄を綻(ほころ)びなくしっかりと演じてくれている。
 僕がときおり乗る電車の中で、彼らは無表情な乗客だった。週末
に冷やかすパソコンショップでは、彼らはさりげなく僕の視線を外
す若い店員たちであり、ときには物知り顔の無口な客であったりし
た。そう言えば、すぐそばでつい先ほどまでコーヒー片手に新聞を
読んでいた暗い顔のサラリーマンだって、そのうちにニッカボッカ
に履き替え別人になりすまして、素知らぬ顔でガラスの外を通り過
ぎるかもしれない。

 ぼくの記憶に残らない程度の端役、エキストラ、その他大勢。
 彼らは僕が覚えていないことを幸いと、顔を変え服を変え、そし
て素性まで変えて、まるで壊れた音楽CDのように繰り返し繰り返
し登場する。もちろん誰もぼくには話しかけてこない。いやそもそ
も、僕という存在に気づいてすらいない。無視、無関心、無感動。
僕の回りは無言の敵意に満ちているのだ。

 いったい、僕の人生芝居の演出者は僕になにをお望みなのだろう。
「しょせん、あんたはひとり」という単純なメッセージを送り続け
るためだけに、冷淡な彼らが存在するのか。それとも飽きもせず単
調な毎日を繰り返すことで「芝居のスイッチを切るのはあんた自身
だよ」と諭(さと)しているのか。

 そう。スイッチを切るのは簡単だ。
 テレビだって、スイッチを切ればドラマはそこで終わる。たとえ
完結しようがしまいが関係ない。強制的なリセット。もう2度と
「その他大勢」に取り巻かれることはないし、毎朝それらしくコー
ヒーを飲みに出かけることも、いやそもそも、こうして思いまどう
ことも要らなくなる。

 でも面白くない。それが演出者の望むところであったとしても、
誰かひとりでもいい。今日くらいは知ってるやつを見つけたい。そ
うして、この面白くもない人生芝居の楽屋裏を暴いてからでも、遅
くはないはずだ。そう。スイッチはいつだって切れるのだから。
 
 ちょうどその時、ひとりの男がガラスの向こうに現れた。
 かすかに見覚えのある男。赤いジャンパーにジーパンで、不機嫌
そうな顔で肩を揺すりながら歩いてくる。確かにどこかで会ってい
た。

 僕は思わずガラスを叩いていた。男は怪訝そうな顔をして立ち止
まり、眩しそうな目で僕を見る。顔色が日差しの中でもそれと分か
るほど青白く、眼窩は落ちくぼみ、無精ひげも伸びていた。
「俺だよ。覚えているだろう」
 男がのろのろと前の席に座ると僕はそう宣言した。男は警戒を解
かない。笑顔だ、笑顔。
「ほーら、高校の時、同じクラスだったじゃないか」
「ああ、そういえば」
 男はのろのろと頭をかいた。思い出したのか、しかたなく調子を
合わせているのか。薄ら笑いを浮かべている。
「いやあ、久しぶりだな、シンユウ。元気かい」
「あ、あー」
 僕は覚えている限りの高校時代の思い出を話した。
 この男がそこにいたかどうかは問題じゃない。むしろ僕は、この
男、エキストラの中から選ばれたサンプル、が僕のいう「シンユウ」
役をどう演じるかに興味があった。
 話してゆくにしたがって、男の表情は緩んでいく。ときどき大き
く頷いたり、笑ったりした。
 僕の話に相槌を打ちながら男は目の前のコーヒーを少し飲んだ。
男から警戒が解け、緊張していた肩の線が柔らかくなる。ついには、
男は僕の話に合わせて時々溜息すらつくようになった。見事な雰囲
気の転換だ。よしよし。
「ところで顔色が悪いな。どうかしたのかい」
 すっかり打ち解けたところで、僕は真剣な顔をつくり尋ねた。
「いや、ちょっと」
 男は細い目になり、金の無心をしてきた。半端な額ではなかった。
しかし僕は笑顔を崩さない。
「わかった、困っているときはお互いさまさ」
 僕はその場から携帯電話をかけた。男の言う銀行口座に頼まれた
とおりの金額を振り込む。
「恩に着る。必ず、倍にして返すから」
 男は僕が携帯電話を切ると、そそくさと立ち上がった。「必ず必
ず……」と呪文のように繰り返しながら、逃げるように店から出て
いく。

 僕は結果にすっかり満足していた。
 第一に僕は男の顔をしっかり覚えた。もう彼はぼくの芝居の中で
エキストラ役ではいられない。彼の方がそのつもりでも、ぼくは必
ず彼を見つけ「シンユウ」役を迫るだろう。渡した金なんて、役者
の契約金だと思えば安いものだ。
 ガラスの向こうで人生芝居の演出者の舌打ちが聞こえそうだった。

 1週間後。
 僕の携帯電話が鳴った。この間の男からだった。

「やあ、先日はどうも。久しぶりに会ったというのに金を貸してく
れなんて、俺も相当図々しいことを言ってしまったものだと反省し
てるよ。うん、小さな会社だけど不渡りを掴まされて、運転資金に
困っててさ。いや助かったよ。お陰であの後、大きな公共事業が落
札できてね、それを担保に銀行から新規融資を引き出せたんだ。だ
から約束通り、倍返し。うん、そうだよ。すぐに全額は返せないけ
ど、その代わりと言っちゃ何だが、うちに常勤の役員で来ないか。
ちゃんと役員報酬を用意するからさ。おまえだって、急に奥さんに
死なれて落ち込んでいないで、きちっと働くとまた違った人生観が
生まれるかもよ。残った土地の切り売りだけでは、もうふらふら遊
んでばかりもいられないって言ってたじゃないか。食っていけない
だろ。ここんとこ、都心の地価もひどい下がり方だしさ。な、役員
の件、考えといてくれよ。それにしても俺の方はすっかり忘れてい
たっていうのに、あそこで声をかけてくれて感謝するよ。ほとんど
付き合いもなかったのに、シンユウだなんてね。いや、あのあと俺
は考えたさ。お前ひょっとして、新しい友という意味でシンユウ、
つまり新友って言ったのかなって……」

 男が喋り続ける携帯電話を、僕は勢いよくゴミ箱に投げ捨てた。
 用意された新しいシナリオには吐き気がした。が、しかし、あの
男の変身ぶりの見事さにはちょっとだけ脱帽だ。

 スイッチを切るのはもう少し先にしよう。

(おしまい)

あとがき = 前に書いていたものを見直しました。ちょっとひねた感じがなかなかステキと自分では気に入ったものの、果たしてSSか、という疑問が……。


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