第一回FIGHT/テーマ「新」 |
「新しい隣人」
作者・たそがれイリー
新しい隣人は、その風貌から見ても神経質そうな男だった。
今までいた隣人が、可憐な女子大生であっただけに、私はいささか不気味に思えた。
だが、夫にそれを話しても取り合ってはくれない。
「そんな、よそ様を悪く言うもんじゃない。第一、あの人と話をしたこともないだろうに」
と言う調子で、夫は大した問題にはしてくれなかった。
隣人は、平日の昼間でも部屋にいるようで、生活の証とも言える雑音・・・トイレを流す音や換気扇の回る音がいつも聞こえている。
2階の平林さん・・・すなわち「放送局」の言うことには、この隣人は「写真家」らしい。
そう言えば、ときたまカメラバッグを抱えて公園にたたずむ隣人を見かけることがある。
放送局もゴシップが多いから、すべてを信じるわけにはならなかったが、少なくとも隣人への恐怖心は揺らいだように思えた。
隣人と初めて会話をしたのは、長男を連れて公園に出向いたときのことだ。
この春に小学生となる長男。その長男が、砂場近くのベンチに腰掛けたひげ面の隣人を見て、素直におびえた。
「はははは。怖がらなくてもいいよ」
隣人は長男に近づくと、遠慮しながらその頭を撫でた。
人見知りする長男が、こんなに無邪気に他人と戯れるとは。私は正直に驚いた。
「子どもの写真ばかり撮っているんです。ほら、チラシとか、いろいろあるでしょ」
隣人は、私も読んでいる雑誌の名前も含めて、いくつかの雑誌をあげ、自分の仕事を謙虚に紹介した。
「子どもはいい。大人になると、無邪気に笑えないからね。」
隣人に対する、今までのイメージが少しづつ変わっていくのが、私にもわかった。
優しいひげのおじさん。長男は、優しいひげのおじさんにいくつか写真を撮ってもらった。
「奥さんもぜひ・・・いや、お願いします」
「え・・・」
「今、親子を題材にした個人展を開こうと思っているんです。ご迷惑は掛けませんから、ぜひ・・・」
隣人にせがまれた私は、普段のままで彼の被写体となった。
隣人は、口ひげをピクリとさせ、満面の笑みを浮かべていた。
隣人はそれから、外出する日が多くなった。
以前話していた期限・・・個人展の期日が迫っている。カレンダーに記した、彼の個人展まではあと4日しかなかった。
あの日以来、隣人とは話をする機会もなく、いつものように生活の音が聞こえ、ときおりフラッシュの音が聞こえるぐらいのもの・・・隣人同士の関係が続いていた。
「写真は、新しい自分を見つけてくれるんですよ。だって、自分では見られない、ありのままの自分を収めてくれるんですからね」
あの時、隣人はこう言って写真の美学を私に語った。
その美学に惹かれたというか・・・新しい自分に会いに行きたくなった。
4日後、長男を友人に預けると、彼の話していたギャラリーに向かう私がいた。
実際に尋ねてみると、ギャラリーと言うよりは古びた喫茶店と言う感が否めなかったが、私は勇気を出して木のきしむ階段を登った。
「ああ、どうも」
受付には、煙草をうまそうに曇らせる隣人がいた。芳名録には数名の名前が刻まれていたが、みな遠方の地名ばかりで、隣人の友人らしき感じだった。
隣人に勧められるままに芳名録に記帳した私は、展示室に向かう。
「どうです・・・新しい自分に出会えましたか?」
会場の入り口には、私と長男が無邪気に三輪車を転がす風景があり・・・それも、私の等身大のスケールで飾られてあった。
生きているようだ。もう一人の自分を見ているようで、私はしばらく立ちつくし、自分と向かい合わせになった。
「すみません・・・僕としては、一番気に入った作品だったもので・・・」
隣人は、無言のまま立ちつくす私に平伏した。
「そんなんじゃないんです、そんなんじゃ・・・」
気まずい雰囲気を振り払おうと、私は賢明に場を繕ったが、瞳からこぼれてくる涙を抑えるのに賢明になり、ますます気まずい雰囲気を作ってしまった。
パシャ。
涙を流す私を、隣人はフラッシュで包み込んだ。
「泣けるときもあるんです。だって、人間ですから・・・」
隣人は、口ひげをピクリとさせると、満面の笑みを浮かべ、瞳から一筋の涙をこぼしたのだった。
あとがき =暖かい話を目指して書きました。それが達成できたかどうかは・・・
[道端文庫へ]