第1回、S・Sファイトクラブ「参加作品」
第一回FIGHT/テーマ「新」

「新しい世界へ」

作者・きいち


 あぁ、俺は夢を見ていたんだな。
 半覚半睡の状態で、俺はぼんやりと思った。
 見たくない夢を見ていたような気がする。うなされていたらしく、自分を守るように手足を折り畳んで眠っている。夢の内容は、今や思い出せない。なぜか身体が金縛りに逢ったように動かなかった。やがて俺は、睡魔に襲われて再び目を閉じた。
 イヤだ。もう夢は見たくない……。

 俺は母に手を引かれ、フェリーの展望台に連れ出された。母は思い詰めたような表情を浮かべ、フェリーが残す白い航跡を眺めている。風が強く、肌寒かった。吹き荒れる風と、母の暗い表情が怖くなり、幼い俺は声を出した。
「お母さん。もう戻ろうよ」
 母は答えなかった。自分が風に吹き飛ばされないように、そして母がどこかに行かないように、そっと母の袖を掴んだ。小さい手でぎゅっと……。
 幼い頃の記憶。今では記憶の意味を知っている。ギャンブル狂の父に愛想を尽かし、母は離婚を決意した。父と住んでいた名古屋を離れ、母の実家の福岡に戻る時の記憶だった。あのとき、母は思い詰めた表情を浮かべて、何を考えていたのだろうか?

 夢の場面が変わった。俺は小学生になっていた。母の育った町で暮らしている。有明海に面した漁港の町。家計は祖父が、近くにある財閥系の炭坑に勤めて支えていた。
「あんたたちが、居るけんねぇ。じいちゃんは60にもなって働かんといけんとばい」
 九州弁で祖母が語った。祖母が自分の夫を哀れに思い、何気なくつぶやいた一言。しかし幼かった俺の心を傷つけるのは充分だった。
 あぁ、僕は邪魔者なんだ。食べさせて貰っているんだ。悪イ事ヲスルト、追イダサレルカモシレナイ……。
 
 イヤだ、こんな夢は見たくない。悪夢から冷めようと、身じろぎした。相変わらず身体は動かない。折り畳んだ手足が窮屈だった。何かに締め付けられたような圧迫感を感じる。
イヤだ、ここから出してくれ…ここから?ここは何処だ?少なくとも自分の部屋ではない。俺は何処にいるんだ?必死で記憶を探ろうとする。しかし俺の意志とは別に、再び昔の記憶が蘇ってきた。

 悪夢は続く。俺は中学生になっている。バスケットのリングに向かって、シュートの練習をしていた。背も小さく、運動神経も発達してない。しかし走るのは速かったし、身体を動かすのは楽しかった。シュートが入るようになれば、レギュラーも狙えるかもしれない。一心不乱に練習に打ち込んだ。努力は実らなかった。先輩が卒業すると、後輩からレギュラーを奪い取られた。世の中には、努力しても実らないことがあると思い知らされ、実感した。ドウセ、ガンバッタッテ。これが俺の口癖になった。
 高校生に成長した俺は、電車に揺られて通学した。二列目の車両の、後ろの乗り口。そこに彼女がいた。ミッション系の女子校に通う、ポニーテールの女の子。肌が白く、透明感があった。心の中でのアイドル。告白しようとは思わなかった。見ているだけで満足だった。青臭かった俺は、恋愛とは求めない事と信じていた。しかし、心のどこかに、求めなければ傷付くこともないという考えがあった。予測は当たった。帰りの電車で偶然会ったあの娘。頬を染めて男と歩いていた。アァ、ヤッパリ俺ニハ手ノ届カナイ娘ダッタンダ。思ッタトオリダ。
 いつしか俺は、自分で自分に言い訳をする男になっていた。無理だよ。ダメだよ。俺なんか。

 何故だ?どうしてこんな夢ばかり見る。夢なら醒めてくれ。何かに締め付けられた感覚は続いているが、ごくわずか動いたような気がした。俺はこの状態を脱しようと、手足を動かした。少しづつ、少しづつ身体が運ばれてくるような気がする。身体を動かしながらも、夢は襲ってきた。

 就職した会社には失望した。就職試験の説明では、適正に逢わせて部署に配属すると言われていたが、寮に入った時には配属部署が決まっていた。オートメーションの中に組み込まれた、俺という個性。俺じゃなくても出来る仕事。では俺は何のために存在しているんだ?
 こんな会社辞めようか?しかし辞めてどうする?俺は何をしたいんだ?何も決められないまま、時間を無駄に費やし年を取った。やがて結婚し、妻の妊娠が発覚した。もう、自由ではない。俺の人生は俺の物では無いのだ。生まれてくる子供と家庭のために俺は生きる。
 
 身体の締め付けはきつくなっている。締め付けられながらも、少しづつ少しづつ移動しているようだ。灯りのないトンネルのような場所を進んでいく。今どこにいるのか?そして何処に行こうとしているのか分かってきた。あぁ、そうだ。俺は今、最後の確認をしているのだ。自分がどうやって生きてきたか。そしてこれからどうやって生きていくのかを。おそらく次の夢が最後になるだろう。

 仕事が終わり、疲れた身体を引きずるようにして車に乗り込む。身重の妻は、自分の帰りを待って食事をしていないかもしれない。俺の事より、今は自分の身体のことを大事にして欲しかった。もう、自分だけの身体じゃないのだから。考えてみれば不思議だった。いつの間にやら自分が父親になるとは。俺はどういう父親になるのだろうか?
 父親へなることへの期待と不安を抱えて、車を走らせた。疲れのために集中力がとぎれていたのだろう。路地から、飛び出してくる自転車。とっさにハンドルを右に。対向車線からはトラックが迫ってくる。衝撃、浮遊感、さらに衝撃。そして暗転。薄れていく意識の中、妻と生まれてくる子供のことを思った。残された妻はどうやって子供を育てるのだろうか?少しでも力になってあげたい。そして俺は……。

 締め付け感は最高潮に達していた。トンネルは蠕動しながら俺を吐き出そうとする。悪夢はもう見ない。そう、もう俺は恐れない。これからの人生を。前の人生が苦痛にまみれていたとしても、俺は恐れない。妻の力になりたい。育てて貰い、支えて貰うことで妻を支えるのだ。再び父親のいない子供になることを恐れない。母は苦労しながらも、俺に愛情を注いで育ててくれた。祖父や祖母も、俺を育てることで実りある人生を送ったのでは無かろうか?苦労は実りある人生の、必要不可欠な材料なのだ。苦痛に満ちた世界だが、苦痛だけではない。苦しみも、憎しみも、無力感も、悲しみもある。しかし楽しみや、喜びや、充実感や、愛情もあふれていたはずだ。ありとあらゆる感情が、ないまぜになる混沌とした世界。そういう世界で俺は生きていく。そうだ、俺はもう恐れない。

 「ふぎゃ〜、ふぎゃ〜」
 「生まれたわよ、おめでとう。可愛い赤ちゃんね。お母さん、抱きしめてあげて」
 「……あの人にそっくり」
 妻だった女性の胸に抱かれ、懐かしい声を聞いた。やがて、俺から生前の記憶が少しづつ薄れていく。しかし、俺は恐れない。新しい人生を生きていく。

あとがき =まさに自慰行為のような小説。う〜っ、自己満足に終わってしまいました。でも、どうかな?きちんと書けたとは思う。共感してくれる人もいるかもしれない。感動してくれる人がいないとは限らない。そう望みを託し、投稿しました。


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