奈落


「何だって! 徹夜してでも直せ!」
 祖沼町文化会館大ホールの柿落としを翌日にひかえ、リハーサル中に舞台のせりが動かなくなったという報告を聞いて、町長は火の出る様な剣幕で怒鳴った。

 祖沼町文化会館は、町役場から西へ四百メートル程行ったところの、荒れ放題になっていた廃寺の跡地に建設された。
 廃墟になっているとはいえ、祖沼町で一番古い建物であるため保存運動が起こったが、町長が反対派を裏工作で押さえ込み、町議会を通過させてから二年。やっと明日の開館にこぎ付けた。
 廃寺の裏にあった墓地は、ここ何年間はお参りする人もいないので一括して無縁仏として町営墓地の片隅の小さな墓石に移された。地鎮祭は地元の神社の神主が表向き体調不良という理由で断りを入れてきたので、町長が遠くの町から呼んだ神主によって執り行われるという事態になった。
 選挙で再選を狙っている町長にとって、選挙公示前に文化会館を完成させるということは自分の権勢を示す恰好の材料になる。そのため無茶な工程と分かりつつも強引に落成式の日を設定したものだから、それは大変な突貫工事となった。
 基礎工事が始まり、斜面になっている墓地の跡をショベルカーが削り取り舞台の奈落部分まで掘り下げていたころ、ゼネコンの所長が現場から帰宅途中に交通事故で亡くなり、急遽新所長が任についた。
 そしてやっと建物の外観が出来上がった頃、それまでの無理が祟ったのか町役場の建設担当係長が脳溢血で倒れ一週間後にあっけなく亡くなるという悲劇が続いた。
 その頃から工事関係者の間から祟りではないかという噂が流れ始めたが、町長は一笑に付し地下二階地上五階建ての白亜の文化会館は工期内になんとか完成したのだった。

「完全に直ったんだろうな!?」
 玄関でのテープカットを終えた町長は、舞台下手袖で礼服の肩に付いた玖珠玉の紙ふぶき片を取りながら設備課長に声をかけた。
「それが、昨夜遅くまで業者が点検をしたのですが、異常が有りませんでした。今朝も何度も試験しましたが大丈夫でした。多分リハーサルの時は操作ミスかと……」
「馬鹿なことを言うな! スイッチを押すだけなのに操作ミスをするのか? 幼稚園児でも間違わないぞ」
「……」
「まあいい、本番で動かなければ関係者の責任は徹底的に追及すると思っていてくれ」町長は射抜くような眼差しで設備課長を睨み付けたあと、階段で薄暗い奈落へ降りていった。

 女性司会者の挨拶が終わると、京都の西陣で特別に誂えて作った真っ赤な太陽を描いた緞帳が静々と上がっていく。緞帳の左下には町長の書になる『朝日』という文字が刺繍されている。
 真っ暗な舞台にスポットライトが光の円をくっきりと描き、せりでゆっくりと上がってくる町長を待ち構えている。まるで大スターが登場するような演出は、町長自身の考案だった。
 スモークマシーンから吐き出されるドライアイスの霧は舞台面を雲のように覆いつくし、黒く口を空けたせり口から奈落にゆっくりと流れ落ちる。
 せりで上昇しながら町長は奈落の上の四角い開口部を眺めた。ドライアイスの霧が滝のように降り注いでくる。一瞬平衡感覚を失い、積乱雲に突っ込んだ飛行機のように身体のバランスを崩してよろけそうになったが何とか踏みとどまることが出来た。
 せりが上がるにつれて霧の中から、スポットライトに照らされた町長の頭が客席側から見え始める。
―― グウゥーン
 突然油圧ポンプが停止し、せりは町長を乗せたまま途中で止まった。
「昨夜、修理したんじゃないのか! あれほど言っておいたのに、どこを直したんだ!」客席に聞こえないように舞台袖に向いて町長は小声で呟くように言った。
 客席からは怒りに歪んだ町長の顔が雲に浮かんだ生首のように見え、千五百人の観客は固唾を呑んで成り行きを見守る。
「誰だ!」町長は礼服の裾を小刻みに引っ張られたので、それを払いのけようとしたがその手は空を切った。下を見ても霧に隠れて何も見えない。服がどこかに引っかかった様子もない。次の瞬間足首に冷たいものが張り付く感覚を覚えた。それを振り払うように片足を振ると、逆に力強く握られて下にグイッと引っ張られる。
「わ!」咄嗟に肩の高さの檜の舞台に両手で掴まり何とか転倒せずに済んだが足首を掴む手は離そうとしなかった。次第に手は増え脹脛、膝、太腿まで無数の手が張り付いてくる。
 奈落からは呻き声とも機械音とも区別できない微かな響きが聞こえ、生臭い土の匂いが漂ってくる。
 町長は自力で這い上がろうと両手に力を入れて舞台に飛びついたが、迫り出した腹が邪魔で舞台に上がることが出来ない。それどころか宙に浮いた両足をくの字に折り曲げて体のバランスを取るのが精一杯だった。

 スポットライトが消され、町長の首は舞台の闇に紛れて見えなくなった。真っ暗な客席のシーリングに着けられた無数のダウンライトだけが蛍の淡い光のようにぼんやりと見える。
 数人の係員が町長を引きずり上げようと駆け寄ったが、そのうちの一人が、足を踏み外してせりの中に落ち、撥ねるように転げて奈落の底へ転落して重く鈍い音を立てる。一瞬呻き声が上がったがすぐに聞こえなくなった。
 その反動のように再びせりが上昇を始めた。
「足…… 足を誰かが掴んでいる…… 助けてくれ!」町長は恐怖に震える声で係員に助けを求めるのが精一杯だった。
「せりを止めろ!! 緞帳を下ろせ!」そう言うと、係員の一人がせりに飛び降り町長の腰を肩に担いで下から支えた。暗闇に目を凝らすと町長の足には、蛇のようにマイクケーブルが巻きついている。係員はせりが上がるのに合わせて、町長の腰を肩で押し上げようとしたが、ビクともせず、逆にせりと町長の板ばさみになり耐え切れずに肩を外した。町長は失禁していたのか係員の肩はぐっしょりと濡れた。
 緞帳はゆっくりと降りてきた。昇る時は『朝日』だが降りる時はどう見ても『夕陽』にしか見えない。せりは止まらず上昇を続ける。
「駄目だ! もっと人を呼べ!」係員が叫んでいる間にもせりは上昇を続け、既に町長の腰を挟もうとしている。
―― グウゥーン
 腰を挟む寸前のところでせりは止まり、同時に沈み行く『朝日』の緞帳も30センチ余して止まった。
 設備課長が舞台機構制御盤のメインブレーカーを切ったのだった。

 後日、機構制御のソフトにバグが発見されたと報告されたが、死の恐怖を味わった町長は人が変わったように穏やかになり責任追及をすることはなかった。
 一ヵ月後には奈落に祭壇が設けられ、転落死した係員、それに廃寺の無縁仏が合祀されて慰霊祭がしめやかに執り行われた。

―― 四ヵ月後 文化の日

「先人が築き上げてきた祖沼町の文化と、緑豊かな自然を…… 」

 再選を果たした町長が舞台上の演台で熱弁を振るっているとき、すぐ後ろのせりがゆっくりと黒い口を開けるように下がり始めた。奈落の底からは生暖かい湿った空気と線香の煙が一筋立ち昇ってくる。
 町長は背広の裾を小刻みに引かれるのを感じて、悪夢が甦る。全身に悪寒が走り眩暈で客席が大きく歪みながら回転する。額には脂汗が滲み指先が小刻みに震えるのを抑えることが出来ない。
『すまない、君たちもすぐに合祀させてもらうから許してくれ』町長は目を閉じて心の中で唱えた。
 町長の瞼の裏には交通事故で亡くなったゼネコンの所長と、脳溢血で亡くなった町役場の建設担当係長の姿がありありと映し出されていた。
 
        完

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