押シ入レ


 しーっ、静かに……。
 そんな大きな声を出したら見つかりますよ。隠れん坊ですもの。じっとしていなくちゃ。鬼は殺した息の漏れる音にさえ、耳を欹てているものよ。
 じゃあ、上手な隠れ方を教えましょうか。
 母さんは、小さい頃、隠れん坊の名人って言われたっけ。こうして、押し入れの暗がりで、じっとしていれば、まず見つかりっこなかった。鬼が降参するまで、出て行ってやらないの。ヒナちゃんは、母さん似だから、きっと隠れるのが上手くなるわよぉ。
 自分の吐く息、吸う息を数えてごらん。目を閉じて。そう。ほら、瞼の裏がぼんやり明るくなってきたでしょう。それは、ヒナちゃんが生まれる前に、母さんのお腹の中で見た色が、瞼の裏に焼きついているの。生まれてしまった赤ん坊は、ぴぃぴぃ泣くばかりで、煩いでしょう。胎児の振りをして、ひっそり、丸くなっているのが、隠れん坊のコツなのよぉ。
 目を閉じても、真っ黒け。そういう人もいますよ。心がけが悪いと、どんどん瞼の裏は、黒くくすんでしまうの。仕舞いには、目を閉じても、ぽっかり真っ黒け。そういう人は、隠れん坊が下手ねぇ。じっとしていられないんですもの。
 ふふ、安心なさいな。ヒナちゃんは、まだ大丈夫。さあ、閉じて。え? 母さんは、もう真っ黒かって? そうねえ、どうかしら……。母さんは、この頃、ずっと目を閉じていないから――。

 鬼の話をしましょうか。
 余計に恐くなる? あら、でも本当は、鬼はとても優しい生き物なのよ。
 母さんの父さん……ヒナちゃんのお爺ちゃんはね、鬼だったの。だから母さんは、鬼のことをよーく知っています。
 青いのとか赤いのとか、一本角、二本角、鬼にはいろんな種類があるけど、あなたのお爺ちゃんは黒鬼だった。お酒を飲むと、たまには赤鬼になったけど、ふふ。
 黒鬼はね、太くて長ーい棍棒を持っているの。薄い板にねえ、何百本と長い釘を打つでしょう。飛び出した釘を表にして、棍棒の周囲にぴっちり貼り付けてあるんですよ。
 叩かれたら痛そうねぇ。でも、棍棒は人を叩くために使うものではありません。そりゃたまには、叩くこともあるかもしれないけど、それは本来の使い方とは違うのよ。少なくとも、お爺ちゃんは、それで人を殴ったりしませんでしたとも。
 棍棒はね、捩じ込むようにして使うの。それもね、愛しい人の中に捩じ込むのよ。母さんも何回も捩じ込まれたっけ。何百本と飛び出た釘が、身体の内側を引っ掻き、抉り廻って、火がついたように内から熱くなってねぇ。
 そんなことをしたら死んじゃうって? そうねえ、普通なら死ぬ。お爺ちゃんは、母さんのことを好いていたし、だから大丈夫だったのかしら? 不思議ねえ。そりゃ痛くて、最初は血もだらだら出た。嫌で嫌で、いっつも押し入れに隠れていたの。でも、慣れてしまえば、どうってことなかった。熱と異物感しか感じなくなるのよ。
 棍棒はね、使い込むと、釘が錆びるの。お爺ちゃんは、いつも部屋に閉じ篭って、一人で釘の手入れをしていた。
 錆を舐めとるのよ。
 舐めとるお爺ちゃんの舌は長かった。先が二股に分かれていて、ちろちろ蛇みたい。絡めとるようにして、それはそれは綺麗に舐めあげるの。
 母さんもね、手伝おうとしたのよ。けど、駄目だった。母さんの舌は今と違って、短かったでしょう。根元の錆を舐めようとすると、他の釘が邪魔をするのね。何度も失敗して、釘の先で舌を突いてしまった。
 その度に、お爺ちゃんは、滲む血をべろんと舐めて、消毒してくれたっけ。

 あら、ヒナちゃんも舐めて欲しいの? 肘を擦り剥いたの?
 どれどれ……。
 まあ、しょっぱい。ヒナちゃんは、塩味ねぇ、ふふ。
 え? お婆ちゃんも鬼だったのかって? いいえ、違いますよ。母さんの母さんは、普通の人間でした。普通すぎて、何の変哲もない、つまらない女だったわねえ……。

 実はね、ヒナちゃんの父さんも鬼なのよ。
 母さんは、赤鬼と結婚したの。
 鬼の子はねえ、やっぱり鬼になるか、鬼と契りを結ぶか。どっちか。そう決められているの。「せだいかんれんさ」って言うのよぉ。生まれた子供が男の子だと、鬼になり、女の子だと、鬼のお嫁さん。だから、あたし……母さんも、ヒナちゃんも、人間よ。
「しょくもつれんさ」なら知ってる? 惜しいけど、ちょっと違わね。でも、難しい言葉を知っていて偉い偉い。もっと傍においでなさいな。撫ぜてあげようねぇ。
 ……やっぱり母さん似ね、ヒナちゃんは。強情なくせっ毛。母さんも小さい頃は、そうだったのよ。
 母さんの髪を触りたいの? ふふ、いいですよ。どうかしら。湿ってる? 黴臭いわね。ずっと押し入れに隠れているんですもの、仕方ありませんよ。押し入れにね、長い間入れ忘れてしまったものは、廃れて、黴臭くなってしまうものなのよ。

 父さんを拾ったときの話をしましょうか。
 そう拾ったのよ。そのとき母さんは、どぶ川で下帯を洗濯していたの。どうしても我慢できなくてねえ、傍の草叢で粗相をしてしまったの。恥ずかしいわね。そのまま帰ったら怒られるでしょう。汚れた下帯を川で洗おうとしたのだけど、泥水で洗えば洗うほど茶色にくすんでしまった。
 途方に暮れていると、川上から、ダンボールに入った父さんが流れてきた。
 川のすぐ先は、滝になっていたの。水飛沫が煙って、底は見えないほどなのよ。轟々と泥水の落ちる音が、遠く、下から聞こえてくるの。
 ダンボールの端から、鬼の角がはみ出して見えた。助けるなら今しかない、母さんしかいないって思ったわ。――今、考えると、ずいぶん傲慢だったわねぇ。
 草叢に落ちていた竹の棒で、何とかダンボールを引き寄せて、覗き込むと、父さんが丸くなって眠っていた。生まれたての父さん。生まれたての子鬼だった。
 川上には、場末の酒場が、お互いに倒れかかるようにして寄り添っていたでしょう。きっとそこから流れてきたのねぇ。
 酒場で生まれた父さんは、赤鬼だった。
 すうすう言う寝息に耳を澄ましていると、橋の上から母さんの母さん――お婆ちゃんが、叫んだの。見上げたお婆ちゃんの顔は、真っ白で、そこだけ空気も埃も何もないのよ。そこだけ、ぽっかり真っ白なの。それで、もういい加減になさい、いつまで遊んでいるの、暗くなる前に帰ってらっしゃい、って叫ぶの。
 そう言われたら切なくなってしまったの。茶色に染まった下帯を川に流して、母さんもダンボールに入って、父さんと一緒、ひっそり、丸くなった。ダンボールは黴臭かったわね。
 そうして、ヒナちゃん、あなたが生まれたのよ。

 あら……。父さんが探してる。
 しっ、静かに。鬼がこっちに来るわよ。
 あぁ、乱暴にして。何枚、お皿が割れたかしら。怪我はしなかったかしら。あらあら、怒鳴ってる。叩いてる。そんなに言われても、お酒もお金も、もうありませんよぉ、ふふ。
 ああ、きたきた。部屋の戸を引く音がする。畳を擦る音がする。あらあら、何でわかったのかしら? ばれてるわねえ。押し入れに隠れてるって……。ヒナちゃん、じっとしているのよ。

 ひぃっ。……お願いよぉ、そんなに襖を揺すらないで頂だいな。ただでさえ、たてつけが悪いのに。
 ――ヒナちゃん行くの? 母さんを置いて行ってしまうの?
 わかったわ。行ってらっしゃいな。
 また擦り剥いたら、母さんが舐めてあげましょうねぇ。

[Return]