廃物の行方


「御免下さい」
 ……返事が無い。私は木戸をそっと開けて、同じ言葉を三度繰り返した。
「はいはい、只今」
 のそのそと家の奥から現れたのは、黒装束を着た、長い白髪のお爺さんだった。
「……おや。また、若い人がこんなところに何のようだね」
 三十路の私を見て若いと言ったお爺さんの顔が皺くちゃになる。
「行方不明の父を、探しに来ました」
「ほぉー」
 お爺さんは、私の顔をじろじろと見てから
「上がってください。お茶くらい出しましょう」と家に迎え入れてくれた。


 六〇で自ら退職した父――佐藤裕次郎は、それから五年間、庭の手入れをしてゆったりと毎日を過ごしていた。特段、大きな病気もせず、外から見れば悩み事も無いように見えた。
 けれど、六六歳の誕生日。
 父は忽然と姿を消した。警察に届けは出したものの、本気で探そうとしたのは一日だけ。痴呆老人が何処かにふらふらと遊びに出てしまった。それくらいのことにしか考えていないのだろう。
「私以外の家族は、もう父の事など気にはしていないようですが……私は違います。ぼうぼうに伸びきった雑草だらけの庭を見る度に、胸が締め付けられて」
 私は皺だらけのスーツの裾で目を拭った。
「……そうですか」
 目の前のお爺さん――秋野さんは、そう言ってずずっと一口、茶をすすった。
「それで、どうしてここに?」
「父の日記帳です」
 私は、小汚い通勤鞄からこげ茶色の表紙の冊子を取り出した。黄色の付箋紙をつけた頁を開く。
「ほほぉ」
「誕生日の前日、父は、ここに来ることを決意したと書き残しています。このチラシも挟まっていました」
 老人だけの夢の島。そう銘打たれたチラシには、ここの住所と写真が掲載されていた。
「ちょっと待っていてください」
 秋野さんは、どっこいしょと立ち上がると、部屋の隅にある草臥れた木の机の引き出しから、一本の巻物を取りだした。
「佐藤……ゆ……あぁ、ありましたよ」
 卓袱台の上に置かれた巻物を覗き込む。そこには人の名前が並んでいた。良く見ると、名前の上に小さく罰点が書かれているものとそうでないものがある。私の父の名前には……罰点が書かれている。
「あなたの父親、佐藤裕次郎さんは、残念ながらつい一週間前にこの世での役目を終えました」
「そう、ですか」
 頭の片隅で多少なりとも想像していたこととは言え、突きつけられた事実を受け止められるほど私の心は強くなかった。身体から力が抜け、目頭が熱くなる。
「亡骸で良ければ会いますか?」
「え……ち、父はここに、今も?」
「ついてきてください」
 秋野さんの後ろをついていく。家は意外と広く、迷路のように入り組んでいた。やがて、私たちの前に地下への階段が姿を現した。
「この下の、お堂に眠っています」
 重く、じめじめとした空気が漂い始める。灯りは壁に等間隔に並べられた蝋燭だけ。この奥に父が――。
「ここです」
 その部屋は、まるで図書館であるかのように所狭しと棚が並んでいた。それに並べられているのは、蓋の付いた小さな灰色の壷。壷の側面には名前と日付が記されている。
「皆、ここに来る理由は同じです」
 一つ一つ壷を確認しながら、秋野さんは語ってくれた。
「自分が死ぬ最期まで、人の役に立ちたい。皆、一様に社会から棄てられたモノですから」
「父は充分人の役に立っていました!」
 大声で即答した私を、秋野さんは厳しい目で睨めつける。
「あなたは、もしくはあなたの家族は、年老いた父親を邪魔者扱いしていませんでしたか? たった一度も、ありませんか?」
「そ、それは……」
 私の妻は父との同居を嫌っていた。老人は老人らしく、養護施設に入れるべき。何時もそう言っていた。そして私も、父の居なくなった庭を見るまでは、父が人の役に立っているなどと思ったことは無かった。
「私はそういう人々に手を差し伸べるために、ここで共に生活をすることにしました。……あ、これですね。どうぞ」
 秋野さんが私の手の中に壷を置いた。佐藤裕次郎と書かれた壷を。
 恐る恐る蓋を開けると、中には、人骨が入っていた。何処の部分の骨か分からないが、一つ拾い上げる。それには焼け落ちた肉がこびりついていた。
「ここで生活している老人の、蛋白とカルシウム源です。もっとも、カルシウムは若い人の骨よりも不足しているでしょうが」
 秋野さんの言っていることがすぐに理解できなかった。
「ゴミの山である夢の島。しかし、食料まではそうやすやすと見つかりません。そこで私たちは、同胞を食べることにしたのです」
 私の身体の横を冷たい風が吹き抜けた。
「あなたたちは、私の父を……」
「えぇ、食べました」
 同様一つ無く。
「あなたの父親は、亡くなった今も人の役に立っているのですよ」
 秋野さんは、手近な壷を手に取ると、そこから一つ骨を取り出し、べろべろとしゃぶり始めた。
「どうしました。顔色が悪いですよ」
 ぱきり、と。
 骨を食べる音が地下室に木霊する。周囲で同じような音が響いている。
「私も亡くなる直前、誰かに食べられることでしょう」
 秋野さんは目を細めて嬉しそうに微笑んだ。それを見て、私の身体が思わず震えた。
「狂っている。そうおっしゃりたいようですね」
 私は、小さく頷いた。
「狂っているのはこの島国の社会ですよ。物でも人でも、古くなったものは簡単に廃棄処分する。個々の意思を無視してね」
 秋野さんは、私の持っていた壷から一つ骨を取り出した。
「この循環には無駄がない。これぞ自然の摂理。どうですか、味わってみませんか」
 秋野さんが私の口の前に骨を差し出す。
 瞬間、ざっ、と足音がした。
「さぁ」
 気がつけば、私は数十人の老人たちに囲まれていた。じわじわと近づいてくる。口に骨が押し付けられる。最後には無理矢理こじ開けられ――がりり、と。
 骨は案外柔らかく、粉になり、口の中で溶けた。微かに肉の味がした。
 これが、父の味。
「皆さん、道を開けなさい」
 秋野さんの一言で、あっという間に周囲の老人の姿が散っていく。
「その壷はお持ち帰りいただいて構いません。今のあなたに必要なようですし」
 深々と頭を下げた私の目から、涙が零れた。


 壷を抱えて家に戻った私は、父が亡くなっていたことを家族に報告した。特に驚く様子も無く、ただ淡々と葬儀を済ませた。
 父は幸せだったのだろうか。
 公園のベンチで休んでいるとそんな思いが湧き出してくる。
 リストラされて数ヶ月。幾ら回っても、老いた私を雇ってくれる会社は無い。かと言って、あの場所へ行く勇気もまた、無い。
 私は内ポケットから、ハンカチに包んだ父の骨を取り出した。
 口に含む。
 父よ。あなたは最後まで幸せでしたか?
 奥歯で幾ら噛み締めても、父の想いが溢れ出てくることはなかった。

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