カーナビ


 後輩のY君が我が家を訪ねてきた。引越し祝いが名目だったが他にも何か話したいことがあるような電話の口調だった。だが当日彼がやって来たのは、予定の時刻から2時間も過ぎてのことだった。
「本当にすみません、渋滞の上に道に迷っちゃいまして。見慣れないロードマップを見ながら来たらわからなくなっちゃって」
「ちょっとわかりにくい場所にあるからね。でも自慢のカーナビはどうしたんだい。地図データには出てなかったのか」
 Y君は自他共に認める無類の方向音痴だ。中古で今の車を購入した時も、付いていたカーナビをかなり重宝していた。
「いえ、カーナビは捨てたんです」
 2階の私の部屋、窓際のソファーに腰を下した彼の表情はいつになく浮かないものだった。妻が運んできたコーヒーに手を伸ばそうともしない。
「実は今日話したいことって、そのカーナビのことなんですよ」

 Y君が車を購入したのは自宅近くにあった中古車屋だった。それまでは父親の車をちょくちょく持ち出していたが、国産の高級セダンに乗り換えてからは全く貸してもらえなくなったという。
 中古車屋はメーター戻しをしているとか事故で廃車になった車から部品を載せ替えている、あるいは事故歴なしと偽って販売している等々、よからぬ噂がちらほらしている店だったらしいが
「前から欲しかった車種だったし程度はいい割に値段も妥当で。噂は聞いてましたけど店の人の応対も感じが良かったし、何よりカーナビ付きだったのが良かったんです」
 彼のナビは目的地を指定すると画面と音声で同時に指示を出してくれるタイプのものだった。地図データはDVDだったが、呑気なことに彼はデータを新しくすることは考えなかった。
「道路がそんな頻繁に変るもんじゃないですし、特に困ることもなかったんですよ」
 ナビが異常な動作をするようになったのは、納車されてから2週間ほどしてからだった。深夜に帰宅する際、ふと音声案内が途切れたかと思うと、現在地とは全く異なる位置を示していたことがあった。何らかボタンを操作すると、表示は何事もなかったように正常に戻った。そんなことが何度かあったという。
ある晩、近所のレンタルビデオ屋から戻る途中にまたも表示位置が別の場所を示していることに気付いたY君は、その場所に行ってみることを思いついた。使わなくなっていた道路地図をグローブボックスから引っ張り出して調べてみると、Y君の住むM市の隣の市の街道沿いであることがわかった。深夜で道も空いていて、その場所に30分足らずで着いてしまった。
 ナビが示していたのはJRの線路脇の空き地の前だった。道路の先にはやや急な左カーブが続き、道路を挟んだ反対側は廃車置場となっていた。付近には街灯もなく、車も殆ど通らないこの時間では、Y君の車の前照灯以外に光源はほとんどないような閑散とした場所だった。
 路肩に停めて一服しようと車を降りた時、朽ちた花束と線香のカス、そして缶コーヒーの空き缶が歩道の脇に置いてあるのが、ウィンカーの点滅する光で見えた。
「ああ、事故現場なんだな、そう思ったら急に寒気がしてきて」
 急に嫌な感じがしたY君は車に戻ってキーを捻った。カーナビは数秒間明るい画面になった後、いきなり電源が落ちてしまった。
「消える前の1秒くらい女の人の姿が映ったんです。何か髪の長い女性の上半身で、顔はなんかよくわかりませんでしたけど」
 彼は無我夢中で家に帰った。どのような道を通って帰ったのか全く覚えていないのだという。

「ふぅん、カーナビが事故現場を示す、ねぇ……」
 事故犠牲者の怨念が取り憑いたカーナビ、心霊体験談や都市伝説で時折目にする類の話で、活字で目にする限りそう珍しいものではない。そういった話を端っから否定するつもりはないが、だからといって自分の身近な人間がそんな体験をするとはどうも思えなかった。
 私は立ち上がり、出窓脇に置いたタバコと灰皿を手に取った。2階のバルコニー越しに外に目をやると、自宅の前に停めてあるY君の車が見えた。誰か助手席に乗っている様だ。フロントガラスの反射のためか顔はよく見えないが、髪の長さからすると女性、それも若いらしい。連れがいるのなら一緒に家にあがればいいのに、彼なりの遠慮なのだろうか。
「ところでY君、これからまた予定でもあるんじゃないのか」
「いや、ないですが。そんなことよりこれにはまだ続きがあるんです」
 彼は顔色を一層蒼くさせて話を続けた。

 それ以降、ナビは電源が入らなくなってしまった。ディスクの排出スイッチすら効かない。
 どうやらナビ自体が曰く付きのものなのではないか、次第にそう思い始めた彼だったが、深夜の誤動作に目をつむれば便利であることは間違いなく、彼にとっては最早必需品だった。買った中古車屋に連絡をすると電話は全くつながらない。行ってみると店は数日前にやめてしまったらしい。仕方なく国道沿いのカー用品店に修理を頼もうと持ち込んだ。
「一応お預かりして中を見てみましょう」と奥に持っていった店員は、しばらくすると複雑な表情で戻ってきた。
「お客さん、ディスク媒体は取り出せたんですか」
「いえ、いきなり電源が入らなくなったんで動いてた時のまんまですけど」
「となると、あのぅ……私にもわけがわからないんですがこのナビ、ディスクが入っていないんみたいなんですよ。それに……」
 店員は手に持っていたものをY君の前にさし出した。どうやらカーナビの基盤らしかったが、基盤に張り巡らされた配線は全て黒々とした細い糸だった。全体にも黒っぽい糸が絡まったように巻きつき、あちこちがべっとりと濡れていた。よく見ると、配線や糸と見えたのは全て人間の毛髪だったという。

「そんなバカな。第一それじゃカーナビは動作しないだろう」
 ははは、と笑いかけた時、ふと視界の脇に人影が見えたように思い、私は出窓に目をやった。先ほど車の助手席に見えた女性が窓の外に映っていた。長く黒い髪、ところどころ点々のような赤茶けた差し色が入った白いブラウス……。出で立ちははっきりと見えるのに彼女の顔だけはやはり、擦りガラス越しのようにぼやけていた。
 もう一度目をこらした次の瞬間、顎が外れたように開いた私の口から、声にならない絶叫が呻き声となって漏れ出ていた。
 私の様子に気付いたY君も出窓に顔を向け、すさまじい悲鳴をあげた。

 女の顔はぼやけていたのではなく、原型をとどめないほど無残に潰れていたのだった。
(了)

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