蛇沼地蔵まつり事件


 友達から、「とにかく見てみなよ」とのメールをもらい、書かれているURLをクリックしてみた。「PURSUIT」といういじめ体験記サイトで、佐野画鋲シューズ事件、鷺宮スカート切裂き事件、松原うんこ事件といったタイトルが何百個も並んでいた。
 それにしてもすごいアクセス数だ。すでに一千万ヒットを超えている。一日あたりどれくらいの人が見に来ているのだろう。こんな陰気で恨みがましいサイトの何が面白いんだか。そう思いながらスクロールしているうちに、一つの事件名に目が留まった。


「蛇沼地蔵まつり事件」投稿者:志乃さん

 私は小学生のときからずっといじめられてきましたが、一番ひどいいじめは中一の夏、地蔵まつりの夜でした。
 お地蔵さんを洗って新しい前垂れをつけた後、提灯を飾ってお供えをします。地蔵堂の前には子供の喜びそうなお店が並び、夜には花火大会やカラオケ大会があって、朝から晩まで賑わう日です。子供が夜遊びしても許される日でもありました。
 その日の昼過ぎ、Y子というクラスの女子から電話がかかりました。夜の花火大会に一緒に行こうと誘ってきたんです。嫌な予感がしました。Y子は、小学校のときから私をいじめているM子の友達なのです。でも、私は中学生になってもいじめられていることを、母に話していませんでした。小学校でのいじめ問題で、母がひどく傷ついたことを知っていたからです。母は私に新しい友達ができたものと思い、とても喜びました。せっかくだからと真新しい浴衣を出したほどでした。
 夕方、私は浴衣を着て花火大会の会場になっている川原へ行きました。やはりM子がY子と一緒にいて、浴衣の袖に手を突っ込んで腕組みしていました。その隣には、ダボシャツ姿のK男とR男もいます。この男子も日頃から私に罵声を浴びせる嫌なやつでした。
 M子が「花火なんか面白くないから、肝試しに行こう」と言い出しました。他の人も賛成しています。私は「怖いから、ここで花火大会を見てる」と言いましたが、誰も私の話を聞こうとしません。このとき走って逃げ帰れば良かったのだと思います。けれど、花火も見ずに帰宅すると、母がどんなにがっかりするかと考えてしまったのです。
 私は四人に囲まれて、舗装されていない農業道路へと連れて行かれました。R男が懐中電灯で地面を照らしましたが、道が悪くて何度もつまずきました。そのたびに私は罵倒され、笑われました。
 いったいどこへ行こうとしているのか、位置を確認しようと空を見上げました。そのとき、背後から光が差し、遅れてドンと音が鳴りました。花火大会が始まったのです。私は花火の上がる方角から、蛇沼に向かっていることを知りました。
 蛇沼は、渇水に備えて作られている農業用の貯水池でした。沼の周辺には蛇の巣がたくさんあったので、蛇沼と言われるようになったそうです。生臭い緑色の水を湛えた気味の悪い沼でした。今は悠木貯水池と名前が変わっています。
 その夏は、何十年かぶりの渇水で、蛇沼の水も田に引かれました。沼底が干上がると、かなりいろんな物が投棄されていることが分かり、農家の人が総出で沼底のゴミ拾いをすることになりました。
 自転車やオートバイのほかに、どういうわけか刃物まで捨てられていたそうです。縄で簀巻きにした布団も遺棄されていました。泥水を吸って重いので、小さくバラして引きあげようとした時、中から白骨が出てきました。状況からして殺人事件に違いなく、すぐに警察へ通報されました。六月下旬のことだったと思います。白骨の身元はいまだに判明していないと祖父から聞きました。
 そんなわけで、蛇沼の脇に小さな無縁仏の祠が作られました。再びこういう事態が起こると厄介なので、コンクリート造の貯水池に作り変え、周囲にフェンスを巡らせることに決まったのもこの頃でした。
 私は、その蛇沼に置き去りにされるに違いないと思いました。
 予想通り、蛇沼についたとたん、M子に突き飛ばされて沼へ落ちました。沼底は、表面こそ乾いていましたが、中は湿っていて、足がずぶずぶと沈んでしまいます。引き抜く拍子に下駄が脱げ、いくら探しても見つからなくなりました。せっかくの新調浴衣も泥だらけです。そんな私を見下ろして、M子、Y子、K男、R男が腹をかかえて笑います。ひとしきり嘲った後、四人は蛇沼から立ち去りました。
 闇が残りました。打ち上げ花火の音が遠くから聞こえますが、雑木林に邪魔されて見えません。それでも、わずかな光がときどき空を染めるので、おぼろげに見えた壁面に向かって這いまわりました。腐ったような泥の臭いで何度か吐きました。もがいても、もがいても、蛇沼の底から出られず、涙が枯れるほど泣きました。沼の中に埋まっている何かが、私の体中を切りつけて痛み、血が出ているのかどうかも暗くて見えません。いつのまにか浴衣の袖が引き千切れて無くなっていました。
 どれくらい時間が経ったのかも分からなくなり、このままここで死ぬのかもしれないと思ったとき、白い玉が一つ、闇の中を漂うのが見ました。ここで殺された人の人魂だと思いました。怖くはなかったです。じきに私もこうなるんだと、半ば捨てばちな気分でそれを眺めました。
 人魂が私に近づいてきて三周ほど回りました。それから、誘うように行ったり来たりしています。こっちへ来いということなんだと分かり、人魂の誘う方向へ歩くと沼から出ることができました。今思うと、あの光はお地蔵さんだったかもしれません。
 蛇沼からは、農業道路をまっすぐ行きました。裸足だったので、小石が足に喰いこんでかなり痛かったのを覚えています。たどり着いた先は、地蔵堂の裏でした。カラオケ大会は終わっておらず、酔ったおじさんの陽気な歌声が聞こえてきました。
 私にとっては一晩中の出来事に思えたのですが、ほんの四時間ほどのことだったようです。誰かに見つからないよう隠れながら家へ帰ると、時計は一〇時半をさしていました。母は自治会の手伝いから戻っておらず、留守でした。
 風呂場へ行って浴衣を脱ぎ、体と浴衣を洗いました。全身に切り傷ができていて、左足親指の生爪が剥がれていました。浴衣は母に見せられないと思い、結局、ゴミ袋に入れて捨てました。それから布団に突っ伏して寝ました。
 翌朝、浴衣と私の体の傷を見た両親は声を上げて泣きました。
 私たち家族は、祖父母の反対を押し切って、半月後に引っ越しました。
 あのとき剥げた親指の爪は、二度と生えてきませんでした。
 今でも、M子、Y子、K男、R男への憎しみは消えません。復讐したい気持ちでいっぱいです。皆さんのご協力をお願いします。
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 私は、総毛だって小刻みに震えている自分に気がついた。
 M子は私だ。
「皆さんのご協力をお願いします」の一文が、ひどく気にかかる。
 ■追跡情報こちら■をクリックしてみると、私たち四人の個人情報が顔写真つきで晒されていた。
 M子こと、日野雅子。
 78年6月18日生まれ。市立悠木小学校、市立浦飯中学校……(株)新出善エンジニアリング勤務 電話番号……。
 写真は小学生から、つい最近のものまであった。スーパーで買い物をしている三日前の姿まで隠し撮りされている。

 そのとき、新着メールを告げる音がパソコンから流れた。差出人は志乃。件名は「見ぃつけた」だった。

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