前だけを見つめて


 待ち合わせ場所は駅前デパートのショーウインドウの前だった。せっかくディスプレイされたウインドウの前では悪いと思い、少し横にずれて壁に寄り掛かった。三体のマネキンが水着姿でビーチバレーをしている。そんなガラス越しの光景を横目で見ながら、想像してみる。まだ見ない友達と一緒に青い海へ行く光景を。
(ユウ……)
 後五分。電車で来ると言っていたから、駅から出て来る人込みの中にいるとは思うのだけど、うまく見つけられるだろうか。私はピンクのハンドバッグ、『ユウ』はブルーのTシャツがお互いの目印になっている。少しでも目に留まりやすいように、バッグを正面に持ち直した。
 でも、私を見てがっかりしないだろうか。
 これまで何度か頭を過ったその考えに、今さらのように臆病風に吹かれてしまいそうになる。逃げ出したい気持ちと、会いたいという気持ち。どっちも同じくらい強く、同じくらい恐かった。会うのは失望されるのが恐いだけだ。でも、もし今逃げ出してしまったら、この先一生友達なんか出来ないかも知れない。
 私はずるずると座り込んだ。逃げ出すという行為を少しでも難しくするために。それが私の運命を決定的なものにしてしまった。


 夕方のニュースを湧かした割に、葬儀はひっそりとしたものだった。親しい友人も無く、まだ就職もしていなかったら、血縁関係者以外は大学の研究室のメンバーと、事故を起こしたトラックの所属する運送会社の社長とその同伴者くらいだった。泣いてくれている人もいたけど、どれも嘘くさく薄っぺらいものに思えた。
 お父さん、お母さん、本当はホッとしてるんでしょう? 出来の悪い娘がいなくなって。これで安心してお兄ちゃんのお嫁さんに来てもらえるものね。お兄ちゃん、良かったね。これで過去の悪さを知っている人間が一人いなくなったよ。
 私の存在に気付く者は一人としていなかった。お線香を上げるその真ん前にわざと立ってみせても。もっとも見えていたら腰を抜かすに違い無い。何せ白いワンピースも赤く染まった、全身血まみれなままなのだから。お経を詠むお坊さんも例外ではなく、死者であることの意味を否応なく理解する他なかった。
 これまでも孤独だった。少なくとも生きている時にはそう思っていた。けど、今はそんな言葉ではとても言い表せられない。自ら働きかけてさえ絶望的な『独りきり』なのだ。いつまで続くのかもわからず……
 ねえ、お母さん、私はここにいるよ。お父さん、私の声、本当は聞こえているんでしょう? ねえ、お兄ちゃん、もう告げ口なんかしないから……。ねえ……


 どんなに泣いても叫んでも私が幽霊であることが変わるわけでなく、あてどなく彷徨ったあげく、結局いつもここに戻る。
 割れたショーウインドウはすっかり元通りになっている。ウインドウの中の海辺をイメージしたディスプレイはさすがに変わり、カジュアルな装いのマネキンたちが気取ったポーズでかっこよく決めていた。私に気付かない人も、ウインドウの中だけは見て行く。こっちのがよっぽどインパクトがあると思うのだけど。大きく削られた壁もまた補修が済んでいた。たった一週間で、まるで何ごともなかったかのようだ。ただ、歩道の植え込みの脇に花束が添えられていた。私の好きなオレンジのダリアがたくさんあるから、家族の誰かが置いてくれたのかも知れない。
 また、あの待ち合わせの時刻が近付いて来る。
 ユウ……あれからあなたはどうしたのかしら。事故のことは知っていた? あんな騒ぎだったんだから、当然か。一度だけでも会いたかったな。そう、あなたなら、きっと私の存在に気付いてくれる。会いたい、会いたいよ。会って、これから私がどうしたらいいのか教えてほしい。チャットでいつもそうしてくれてたように。
 そうだ、チャット。それが私と『ユウ』を繋ぐたったひとつの糸。どうして気付かなかったのだろう。
 家には今は戻りたくはないから、どこか別のところ。そう、インターネットの出来る喫茶店なんかがいい。私は意識を集中した。そうするとイメージした通りの場所に跳べるのだ。一度も行ったことが無いところでもイメージに程近い場所に行ける。戻れなくなるのは恐いから、あまり遠くない方がいい。
 移動はあっと言う間だった。インターネット喫茶というより、漫画喫茶といった感じの店だったけど、そんなことはどうでもいい。いたいた、ネットに夢中になっている大学生ふうの男。どれどれ、どんなページを覗いているのかしら。
 肩越しにモニター画面を覗いてみる。いろんなページへジャンプしているが、私の知りたい情報は得られそうに無い。そもそも『ユウ』のこと自体を彼は知らないのだから、期待する方が無理なのだけど。
 こうなったら一か八か、幽霊の必殺技、『憑衣』してみるしかない。私はそっと男の肩に血まみれの手を置こうとした。瞬間、彼はビクッとなったまま体を硬くした。ぎくしゃくと彼が振り返る。けど私のことは見えないようで、宙空を落ち着かなげにきょろきょろと見ているばかりだった。周りの客もそんな彼の様子を訝し気に見ている。私を見ている人もいたように思ったけど、すぐに視線を逸らされてしまった。
 やめた。気が削がれた。もう少し鈍い人の方が憑きやすそうだ。それにこんなに周囲に人が居たんじゃ落ち着かない。どうせなら時間も気にしないでチャットが出来るところがいい。
 もう一度イメージしてみよう。今度は少し遠出でも行けそうだ。個室を持っていて、ネットに繋がっているパソコンの前にいる人。何かに集中している方が憑きやすそうだ。ああ、見えた。そう、そんな感じ……
 ユウ、今度こそきっと会おうね――


 世の中、やたら勘のいい人間が多すぎる。稀に私の姿が見えてしまう人もいて、そんな時は笑ってごまかすのだけど、そんな時の相手の反応は滑稽なほど大袈裟で、「失礼な」と思いながらもけっこうこれが見ものだった。多くの場合は気配を察知する程度なのだが、それでも私の侵入を阻むのには十分だった。上手く行きそうになったときもあったけど、やはり体に入る寸前に警戒され、弾かれてしまった。何度だって挑戦出来るとはいえ、そろそろ決めたいところだ。
 パソコンに夢中になっている背中が見えた。部屋の様子もほぼイメージ通り。こういう時は幽霊とは便利なものだと思う。そうでもないか。この悲惨な格好だけはどうにもならないんだから。こびり付いてバサバサな髪だけでも何とかしたいのに。
 そっとその背中に忍び寄る。肩越しにモニター画面を覗いたとき、ぱらりと落ちた私の髪がその肩に触れた。勘のいい人はこの段階で私の気配を察知するけど、今回は大丈夫そうだ。
 文字が並んでいる。Web小説を読んでいるようだ。もうラストあたりになっている。けど、いい感じに集中してくれている。
 そう、そのまま集中してて。お願い、気付かないで。絶対振り向かないで。
 あと少し、ほんの少しだから……

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