さむけ


 夏といえば蚊の季節ですね。夜中に「ぶぅぅぅん」と低い羽音を闇に滲ませ、そうっと忍び寄っていく小さな蟲。嫌ですね。ぼくは大嫌いです。
 そうそう、その蚊にまつわる面白い話を聞きました。いえ、こんなことを面白いといってはいけないのですが、これが物書きの因果な性分ということで。
 蚊が奇妙な病気を媒介するというんですね。非常に珍妙な奇病を。脳が溶けてぐちゃぐちゃになって、シチューのようになって死んでしまうというんです。ね、妙でしょ。面白いでしょ。
 この病気、もともと東南アジアのある小さな島の風土病でして、ごく最近まで発見されなかったそうです。それというのも症状がアレなんですな。変わった病気のクセに、はじまりは普通なんです。風邪のひきはじめみたいに、ただぞくぞくと寒気がするというような。
 その寒気が徐々に強くなって、ついには唇から顔色からぜんぶ真っ青になる。これは比喩じゃなくて、本当に血が固まったような紫がかった黒色になるんです。それから目ン玉も煮こごりみたいに赤みがかったヘンテコな色になる。そうして、新しい症状が出てくる。
 血管を小さな蟲がうごめいている感じがする。
 全身を、体の中を、ぞわぞわぞわぞわと小さな蟲が這い回っているように感じるのだそうです。患者は気持ち悪さに耐えられなくなって、掻いて掻いて掻きまくる。皮膚を掻き破って中の蟲をほじくり出そうとするんです。指先が血まみれになって、手の届く範囲はすべて骨が見えるくらいほじくって、届かないところは棒やなんかでめちゃくちゃにしちゃって、かさぶたができたそばから掻きむしるから傷が治るはずもなく、一週間と立たないうちにどろどろの血まみれ。動いてなかったら死体だと思っちゃうくらい……いや、人間ともわからないくらいにひどいありさまで。もちろんそんなになったらもういくらも立たないうちにお陀仏さんです。
 そんなすごい症状が出るんならもっと早く発見されたはずだ、って思うでしょ。いやいや、そんなことはない。皮膚の下に蟲がいるっていうのは、麻薬の中毒症状なんかではいたっておなじみなんですな。この島では幻覚キノコやなんかが日常的に使われているから、島の外から来た医者がこの患者を診てもラリ公の哀れな末路、ってことで片付いちゃってたんです。
 で、この病気がなぜ見つかったかというと、出たんですな、患者が、日本人の。
 その島には観光で行ったらしいんですけどね。滞在してしばらくしたら妙な寒気がする。薬飲んで寝てれば治るだろうとたかをくくっていたんですが、ちっともよくならない。もしやこれはマラリアがなにか、どうもよくない病気にかかったんじゃないかと島を出て本島の病院に行ったんです。一応、出国時には予防接種を受けたんですけどね。ああいうものは絶対じゃありませんから。
 病院は外国人向けのしっかりしたところで、現地の住民なんか大統領でも利用できないレベルだったそうで、かなりちゃんとした検査をしたみたいです。ところが抗生物質を打ってもちっともよくならないし、そもそも血液を調べてもマラリア原虫がいない。入院して調べるうち、例の「掻きむしる」発作がはじまりました。それが現地の人だったら禁断症状で済まされるところですが、身分のきちんとした日本人ですからそんなわけがない。とりあえず掻かないように拘束衣を着せられ、モルヒネを打って……そうこうしているうち、ある朝ついに死んでしまった。
 原因不明の変死ですから、死体は解剖ということになります。胸を割り、腹を裂いて、内臓を調べてみると、ところどころで血管が梗塞してどす黒く変色している。とはいえ死因として確定できるほどのものでもない。
 それで、頭蓋骨をキュイーンと電ノコでかち割ったときです。
 黄色い膿みたいな、いや膿みたいにさらさらじゃない、もっとどろどろで、ねばっこくて、濃厚なとろとろのシチューみたいのがどばぁーっと。
 あふれた粘液が手術台からこぼれて床に垂れ、それを踏んだ解剖医がすっ転んだってくらいです。
 で、そのシチューみたいになった脳みそを念入りに調べて、それでようやく原因が特定されたんですな。
 蟲ですよ、蟲。
 マラリア原虫よりももっとずっと小さくて、だけどもっとずっとタチの悪い蟲がうじゃうじゃとたくさんいたんです。春雨みたいに細長くて、頭もしっぽもわからないような線虫がたくさん、たくさん。
 発症から順に説明していくとこういうことになりますな。
 まずその蟲を持った蚊が人間の血を吸う。そのとき蟲の卵が身体に入る。本来その蟲は野ネズミなんかにつくそうなんですが、それを間違って人間についちまったっていうんで慌てるわけです。なにしろネズミなんかに比べてはるかにドデカイ。こりゃ大物だ。もたもたしてられんぞ、ってことで産めよ増やせよ、大増殖をはじめます。ちっちゃな蟲が二匹になり、四匹になり、八匹になり、十六匹になり……あっという間に云万匹にふくれあがる。血管の中にそんなやつらが何匹もいるもんで、あちこちで目詰まりする。それで血の巡りが悪くなり、寒気がして顔色が悪くなるんです。また何万匹ずつが団子になって駆け回っているんだから、そりゃいくら小さいったって「皮膚の下を蟲が這い回っているような」感触ぐらいするでしょう。
 それでもまだまだ蟲は増え続けます。云万が云千万匹に、云千万匹が云億匹に。キリがありませんのでこの辺で。とにかく増えて増えて増えまくり、増えすぎて人口過密になってしまうんです。あ、この場合は蟲口過密とでもいうんでしょうか。
 ごみごみして手狭なところよりも、広々としてゆったりしたところが好きなのは蟲も人間も同じです。やがて蟲たちはまだ手をつけてないところはないか探しはじめます。まるでIターンにあこがれるイマドキの都会人のようですな。
 で、目をつけたのが脳みそです。
 脳みそってのは人間の体の中でもいちばん大切なところですから、なかなか防御がしっかりしてる。血管に関所のようなものがあるんですな。さすがの蟲たちも攻めあぐねていたわけです。とはいえ、もう蟲たちも後には引けません。夢のマイホームを目指して猪突猛進、云千億匹が一丸となって脳の防衛ラインに突撃、そして突破。一旦通り抜けてしまえばこっちのものです。一点開けた穴を広げつつ、一斉に脳みそになだれ込みます。
 そして好き放題。
 頭の中で云千億の蟲たちがぞわぞわごにゃごにゃうじゃうじゃと這い回ります。細い血管の壁をぶち破り、豆腐のように柔らかな脳みそに食いつきます。ぶち破っては食いつき、ぶち破っては食いつき、食い破り食い破り食い破り、尿を垂れ流し糞を垂れ流し、また食い破り食い破り食い破り、ぷるぷるのプリンみたいだった脳みそをあっとういう間にぐじゃぐじゃのカニミソみたいにしてしまう。
 で、ご臨終と。
 ね、変な病気でしょ、面白いでしょ?
 まあこれだけなら対岸の火事と笑っていられるんですが、その東南アジアのある島、最近になって日本向けに木材の輸出をはじめたそうなんです。貨物船ってのはいい加減なもので、貨物だけじゃなく害虫も一緒に運んでしまうことがよくあるんですな。向こうの害虫がこっちに渡って来るのは、たいていはこの貨物船が原因なんだそうで。クモとかシロアリとか、聞いたことあるでしょう。それからもちろん蚊も。
 えっ、なんだか寒気がしてきたって? それはどうかお大事に。

(了)

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