不死身


 夜気が冷たい。何もかも曖昧だ。気分が悪い。気絶しそうだ。
 思うように動かない体を引きずり、ほんの少しの段差にもつまずきながら、私はひたすら歩く。歩き続ける。
 もうどれだけ歩いてきただろう。川の水を飲み、野生の果実を食べ、木に寄りかかって休み、夏草に埋もれて眠りながら、私は歩いてきた。
 公園のベンチで眠り、コンビニのゴミ箱をあさり、犬のエサまで横取りして。
 そうやっていつのまにか、見慣れた町の懐かしい商店街を歩いている。
 私のすぐ横を付きまとってくる女を睨みつけると、それはショーウインドーに映し出された私自身の姿だった。振り乱した長い髪も鋭く落ち窪んだ目も、まるで山姥だ。
 私は妙に可笑しくなって、笑いをこらえながら街路灯の下で自分の体を見回した。すっかり汚れたサマーセーターと、痩せた腰骨にかろうじて引っかかっているジャージー素材のパンツ。
 履き古したサンダルは、いつのまにか片方なくなっている。脱げないように草の葉で何重にも足ごと巻いて結んでおいたのに。
 どろどろになった木綿のソックスには穴があき、飛び出した指の先は黒ずんだ乾いた血と鮮やかな新しい血でまだら模様になっている。手も腕も擦り傷や青あざだらけ。
 すれ違う人々は皆、一瞬ぎょっとしたように私を見ると、すぐに目をそらして車道に下り、私を避けるように大きな半円を描きながら速足で過ぎ去って行く。私の近くを歩くより、車に轢かれる危険を冒す方がまだ良いらしい。
 さっきから漂っているすえた臭いの元が自分自身であることに気づいたとき、やっと目的の場所にたどり着いた。すがるようにガラス戸を押し開けると、私はそのまま倒れこんだ。
 小さな店の中はおびただしい種類の酒で一杯だ。焼酎のペットボトルが目の前で蛍光灯の光を反射し、私を誘う。

「大丈夫ですか」
 店の主人が奥から駆け寄ってきた。怯えたように店の外を窺うと、私をガラス戸の向こうの通行人から隠すように抱きかかえた。
「ありがとう、あんただけよ、私に優しくしてくれるのは……」
「何を言ってるんですか。さあ、こっちへ」
 私が店の常連とは言え、なんて親切なのだろう。若いのに立派な青年だ。奥の部屋に上げてもらいながら涙があふれてくる。

「何よ、また戻ってきたの?」
 食事をしていた若い女が顔をゆがめて私を見上げ、手にしていた箸を部屋の隅に投げつけた。見覚えのある、美しいが険しい顔。
「これで三度目よ。あなた、本当にこの人を埋めたの」
 女の悲鳴のような声に責められて、店の主人はうろたえたように、私と女を見比べる。
「ああ、そのつもりなんだけど」
「つもりって何よ。あんなにたくさんお酒を飲ませて、完全に首を絞めたのに……。いいわ、今夜もう一度やるから。もっとたくさんお酒を飲ませて、しっかり首を絞めて、もっと遠くに埋めてやるわ。私も一緒に行くから、いいわね」
 ヒステリックに叫ぶ女の言葉の意味が解らなかったが、そんなことはどうでも良かった。すっかりアルコールの切れてしまっていた私の体は、食卓の上の缶ビールに吸い寄せられた。
「もうこの人の犠牲になるのは嫌なの。子どもの頃から私の方が母親のように面倒を見てきたのよ。結婚したら幸せになれると思ったのに、寄生虫のように付きまとわれて……」
 一気に飲み干すビールが喉に心地よい。
「もう十分に尽くしたわ。自由になりたい。あなただって解ってるでしょう」
 泣きながらそう言っている女の手の中のビールも取り上げ、私は恍惚とした幸福感に浸っていた。
 店の中は宝の山だ。次は日本酒にしよう。もちろん熱燗で……。

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