抜け道


 最近ホラー漫画家として名前が売れ出した遠藤彰人は、カレンダーの八月十八日に記された赤い丸を見ながら、貧乏ゆすりをしながら待っていた。突然出版社の方が締め切りを明日にしたお蔭で彼は焦っていた。そのため、急いでアシスタントの朝倉大地を呼ぶ事態になった。チャイムが鳴ると、すかさず玄関へ小走りで行き、扉を開けた。
「朝倉か、早く入ってくれ」
「先生すみません、遅れました」
「いや、別にいいよ。それより早く仕事を済ませるぞ」
 仕事の道具を準備する遠藤の隣で、朝倉の動きは止まっていた。何か言いたげな表情をしていた。
「その前に僕の話を聞いてもらえますか? すぐ終わります」
「まぁいいけど」
「あ、先にコーヒー入れますね」
 朝倉はマグカップを二つ用意して、コーヒーを注いだ後、椅子に腰を掛けた。
「実は……僕の友人が不思議な体験をしたんです」
「不思議な体験? どんな?」
 これは興味をそそる話題だったのか、コーヒーを口元に持っていく手をテーブルに置いた。
「今月の十三日の話なんですけどね」
「十三日? ついこの間の話だな」
「そうなんです。それで、友人はバイトの帰りに抜け道を使ったらしいんです。僕前々から言ってたんですよ。女の子だから、そんな危ない道を通らない方がいいよって」
「危ない道って?」
 話が長くなると思ったのか、遠藤はまたコーヒーを啜りだした。
「一方通行で、電灯がないので全く明かりがなく、凄く暗いんです。目を凝らして、やっと自分が何処を歩いているのか分かるぐらいですね」
「でも、なんでそんな道を?」
「近いんです。通常四十分掛かるところ、二十分弱で帰宅出来るんです」
「なるほどな。で、不思議な体験って?」
「友人が歩いていると、後ろから車が走ってくるのが分かったらしいんです。とりあえず脇道に退いたんですが、その車は横を通り過ぎる気配がしなかったんですって。そしたら、微かに声がしたらしいんです。それで、良く耳を澄ましてみると、男性の声で“すみません”と言っているのが分かったんです」
「それで?」
 まだ核心に迫っているのが感じ取れないのか、遠藤は早く話を進めて欲しいと、言わんばかりの表情をしていた。
「なぜかヘッドライトを付けていなかったので、友人はエンジン音を頼りに車に近寄ったんです。全くその男性の表情や、その他の容姿は分からなかったらしいんですが、声のトーンが落ち着いた感じだったので、怪しい人ではないと推測出来たみたいです。男性は最寄りの病院は何処にあるかと訊いたらしく、友人は細かく親切に場所を教えたんです。それで男性の乗った車は友人をその場に残し、走り去っていったんです」
「……え? それだけ? 何も不思議なことが起きてないけど」
 何かが起きるんじゃないかと期待していた遠藤は、少し拍子抜けをした様子だった。話を聞かずに仕事を早く済ませておいた方が良かったと、今更ながら後悔していた。彼は席を立って、自分でマグカップにコーヒーを注ぎ直そうとしたが、朝倉は「待ってください」と、遠藤を止めた。
「話はまだ終わりじゃないんです。これからが不思議なんです」
「え? あ、そう」
 と、言いながら遠藤はコーヒーを注ぎ、席に座った。
「友人は走り去る車を眺めていたそうです。眺めていたと言っても、ほとんど何も見えないんですけどね。それで、この話の不思議なポイントはここなんです」
「何が起こったんだ?」
「乗ってなかったらしいんです」
「え?」
「さっきまで会話をしていた男性が車に乗っていないのが、見えたらしいんです」
「は? ちょ、ちょっと待てよ。どういうこと?」
 遠藤は目を丸くして、朝倉に問いただした。
「理由は分からないらしいんですけど、光ったかなんかじゃないですかね」
「でも電灯はないし、ヘッドライトも付けてないんだろ? どうやって?」
「さぁそこまでは分かりませんけど。まぁ無人の車だった訳です。そして次の日ニュースで、驚くべきことを耳にしたんです」
「まさか……」
 遠藤は何かを思い出した様に、手を額に当てた。
「無人の車がガードレールに衝突した事故を報道していたんです。友人が言うには、車内が見えたと同時にナンバープレートも見えて、確かに前日に見た車らしいんです」
「……思い出したぞ! あのニュースか。車体がほとんど潰れていて、中にいた人が脱出出来た可能性はなかったんだよな。そうか、事故前に車を発見した目撃者って、お前の友達のことだったのか」
「そうです。だから、やっぱりあの時友人が見たっていう車は、無人だったんです。乗っていないはずの運転手と友人は会話をし、車は勝手に走っていた。これってどういうことなんでしょう?」
「知るかよ。幽霊とでも言いたげだな」
「そういう類のものは信じない方なんですけど、今回は友人が体験したことですからね……」
 両者共ホラー漫画を描きながら、幽霊や宇宙人の存在は断固として否定していた。しかし、朝倉は自ら体験したことでないにしろ、普段嘘のつかない友人から聞いた話だったので、信じる他なかった。
「で、その彼女は大丈夫だったのか?」
「え?」
 朝倉は急に遠藤から投げ掛けられた、何気ない質問に少し動揺した。
「いや、そういう体験をした後って金縛りに遭ったりとかするだろ? 俺は信じないけど、一応な」
「……五日前に亡くなりました」
「え? 亡くなった?」
「心臓発作だったんです。以前からその兆候というか、息苦しくなる時は何度かあったんですが、直接の原因はまだ解ってないらしいです」
「そうか。すまなかった」
「いえ、気にしないでください」
「あれ? ちょっと待てよ。どういうことだ?」
 遠藤が何かに気付いた様だ。
「どうしたんですか?」
「彼女が亡くなったのは、五日前って言ったよな?」
「はい」
「今日は十七日……おかしい。こんなことって……」
「先生、顔色悪いですよ?」
 そう言われて遠藤は、自分が大量の汗を掻いていることに気付いた。顔色は優れず、手は震えていた。貧乏ゆすりなどではなく、足も小刻みに揺れていた。
「不可能なんだよ」
「何がですか。何が不可能なんですか」
「五日前に彼女が亡くなってるなら、四日前に彼女が体験したことを、お前が知ることは無理なんだよ。というよりも、そもそも死んでいる人間がそんな体験をすることは出来ないんだよ」
「確かにそうですね……」
 ようやく朝倉もこの不思議な事実に気が付いた。
「全部お前の作り話なんじゃないのか?」
 突然遠藤は朝倉を疑い始めた。
「よしてくださいよ、先生。だって、先生だって見たでしょあのニュース。仮に先生の言う通り僕の話が嘘だとしても、無人の車が事故を起こしたのも事実ですし、車の目撃者として、僕の友人が紹介されていたのも事実なんですよ?」
「やはり幽……」
 遠藤がそう言い掛けた所で、その話は終わり二人は仕事を始めた。

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